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2008.8.15
Fri. |
◆市ヶ谷駅前にて山田議員と二人にて「公明党終戦記念日アピール」を訴えた。今日の公明新聞2面に
掲載されている「アピール」文である。 |
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2005.12.4
Mon. |
◆10月29日に自民党が新憲法草案を発表した。憲法9条のタイトルを「戦争の放棄」
から「安全保障」に変え、「自衛軍」の保持を明記している。これでは私たち公明党の考え方である平和主義とまったく異なる。 |
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2005.1.9
Sun. |
◆中央公論2月号は「曲がり角に立つ日本宗教」と題して宗教の特集だ。社会のニーズに宗教は応えているのかと。中国新聞では、ハーバード大学教授のハンチントン氏が「信仰復活」を述べている。
まさに時代は本物の宗教を求めているのでしょう。
歴史教育ではよく戦争の原因が宗教にあるかのように教えられているが、人を殺すことを教義とするような宗教はない。むしろ政治や国の利権争いが原因で宗教は利用されたのが真実ではないだろうか。先のハンチントンも中央公論の中でそのような意見
を述べている。 |
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2004.12.1
Wed. |
◆「いくつもの岐路を回顧して」 都留重人著 岩波書店 p.260より引用
「米仏間の文化交流史家として有名なハワード・M・ジョーンズは、1948年次のように書いたことがある。
『戦争がすんだ!おそらく政治家や経済学者や外交官がアジアやヨーロッパに飛行機で飛んでゆくだろう。しかし彼らは何ものをも解決しえないで、かえって事態をますます悪化させるにすぎないだろう。戦争が終わった今日、人々が求めているものは物質主義ではなくて、精神の復興である。人間そのものに対する信頼感の回復である。このさい、どうして私どものような哲学者、芸術家、音楽家を平和の使節として使わないのだろうか。政治家、経済学者、外交官たちは、彼らの善意にもかかわらず、平和の使節となるよりは平和の禿鷹となるだろう』」
と。大いに同感。 |
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2004.4.2
Fri. |
◆「鉄砲を捨てた日本人」 ノエル・ペリン著 中公文庫
さっそく図書館で探し読んでみました。(専修大学図書館にありました)残念ながら家康の平和・文化・教育政策への言及はなされていませんでしたが、当時技術力もありながらなぜ放棄したのかという疑問を数少ない資料を元に分析を試みた貴重なものといえます。
私はノエルの疑問に対する答えはやはり家康が武力でなく文をもってつまり教育・学習を政策の中心に据えたことにあると思えてしかたありませんが・・・。 |
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2004.3.19
Fri. |
◆「さらば外務省」 天木直人著を読みました。
日本の外交はいかにあるべきか、を問うています。外交を独占する官僚から真に国民へ取り戻すために必要なことは何かが明確です。積極的な安全保障論議が今こそ必要なことも。 |
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2003.12.13
Sat. |
◆「プレイグランド」トーマス・サンダース著 冷泉彰彦訳を読みました。
このような小説が実際に書かれたことに驚きました。おそらく全て事実でしょう。
4月8日にここで紹介した「なぜ戦争は終わらないのか」を裏付けるものでしょう。 |
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2003.10.12
Sun. |
◆ノーベル平和賞が決まりました。
イランの弁護士シリン・エバティさんとのこと。
世界には本当に偉大な活動をされている方がいるんだなぁと感心しました。
ハタミ大統領を中心とする改革派にとっては誠に朗報ですネ。イラン国内の保守派と改革派の対立の終結に向けて世界各国も応援しています。シリンさん、ハタミ大統領今後も頑張って下さい。おめでとうございました。 |
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2003.9.17
Wed. |
◆「被爆体験を語る」主催千代田区平和使節団団員連絡会(九段社協にて)に参加しました。
▼被爆者として、今、伝えたいこと
楢林美恵子さん(下の写真)を囲んで有意義な会合となりました。このような場のあることもっと知らせないともったいないと思いました。20人用の部屋が一杯となりました。
楢林さんは何度も「皆さん方にお願いします」との訴えられました。戦争の愚かさ、原爆の悲惨さを伝えることを。
▼ビデオ上映もありました。
被爆者たちの目は預言者の目だ。私たちはその目の前に立たなくてはならない、と。 |
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2003.8.7
Thu. |
◆平和使節団の同行を機にこのページ名をコーヒータイムから平和へのバトンと変更しました。不戦・平和に関することを書いていきます。今までも平和に関することはこのページに書いていましたので内容が大きく変化することもありません。
沖縄の経験を決して忘れることなくそこでの誓いを守るために。
▼今日、国際平和課に平和使節団報告書を持参しました。PDFファイルにしましたのでご覧下さい。 |
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2003.7.19
Sat. |
◆小説十八史略(1)を読んで感じたこと
▼戦国時代を統一した秦の始皇帝(秦王政)もまた「教育と学習」に力を入れたのではないかと予想しながら読みました。
秦王である政は鄭国(人の名)から献上された書物「孤墳」「五と」「内外儲」「説林」「説難」などを読んで大変興奮し、「これは大変な思想家だ。うん、こんな人物と語り合ってみたいが、この書の著者と時代を同じくいなかったのが残念だ。一目合えば、死んでも本望なのだが・・・。」と側近にもらしたことが書かれています。
▼これらの書物は荀子の弟子、韓非子が書いたものでした。また当時は紙もなく竹簡や木簡に書かれていました。
▼秦王政はいずれにしても書物を好み人材を探していたことは間違いありません。戦国時代に百家争鳴といわれたごとく多くの人材が育っていたことも事実です。孔子、孟子、荀子など。
▼秦の国が強くなった背景には商鞅の作った法律があったことは言うまでもない。 |
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2003.6.26
Thu. |
◆今日の私の一般質問の前置きの部分です。以下引用です。
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「現在、江戸開府400年事業もたけなわですが、江戸時代の特徴について若干触れさせていただきたいと思います。たくさんある特徴の中であえて一つだけ上げるとすれば私は、「教育」を含む「学習」にあると答えます。
そのわけは何より徳川家康が取った政策がそこにあったからであります。またそういう時代の来ることをあの社会情勢の中、予想したこと自体驚くべきます。家康が愛好した書物は「貞観政要」であったと言われています。この「貞観政要」とは西暦600年代の中国、唐時代に、真に民衆のための政治を行った太宗皇帝の政治に関することを問答形式にて書いてあるものです。この唐の時代は道徳的文化国家といわれ約300年間続いたことは皆様もご存知の通りです。家康は1600年2月(関ヶ原の戦いの始まる半年前にあちりますが)この「貞観政要」を木版により出版させ、広く一般にまで流布させました。このようなことはそれまでなかったでしょう。織田、豊臣の時代は武を競って天下を取ってきた時代でしたが、家康はこのとき既に戦乱が治まって平和な時代が来ることを予想し、その時は「学術」を盛んにすることを何よりも政治に必要だとし、この書籍の出版に着手したのでした。私もこの貞観政要を古本屋にてやっと手に入れ少し読みましたが、それはすばらしい内容で感動いたしました。」 |
▼家康はなんで関が原の戦いの半年前にこのような本を出版できたのか。きっと強い意志を持って出版したのだろう。
いざ本番というとき、寝返った有力大名が出たこと、寝返らないもでも何で戦闘中一歩も動かなかったのかという有力大名もいたという。これはひょっとするとこの「貞観政要」に原因があったのではないか。いまでいうところのマニュフェストであったのではないだろうか。家康は自分が天下をとったならばこういう政治を行いますよ、と。
三成方の大名もその貞観政要を読んでいたんだろう。
▼実際、家康は天下をとった後の政治においては「学術」を重んじた。 6.30.Mon.
名臣言行録・安藤英男著の最後にも以下のようにありました。
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家康は風流や趣味のためでなく、国を治めるために、理論としての学問を重んじたのである。家康は「東鑑」をはじめ、「貞観政要」「孔子家語」「群書治要」「周易」「六とう」「三略」など、うずもれた書物を出版し、それらによって、政治上のヒントを獲得しようと努めるとともに、諸大名や執政に対しても、その昧読をすすめたのである。 |
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2003.5.3
Sat. |
◆神奈川新聞より
▼家内が4月○○日の神奈川新聞を見せてくれました。全面を使って「未来への選択」と題したもので今回はその3回目。内容は、文明間の対話を特集したものです。
▼池田大作先生の「人格尊重する心こそ第一の条件」と題した寄稿と対話を重んじた世界の著名人たちを紹介しその言葉も紹介しています。
▼ハーバード大学のヌール・ヤング教授は、「イスラム世界は偏狭で排他的というイメージは無知からくる偏見に過ぎない」という。
▼アガカーン元国際人道問題独立委員会議長も「寛容と中庸がそれぞれイスラム教と仏教の中心をなすものである。」と述べている。
イスラム教は非寛容的ー私たちが抱きがちなそうしたイメージは、ごく一部のイスラム原理主義から受ける印象をイスラム世界全体に拡大した無知からくる偏見であろう。異なる文明への偏見を消していく層鳥会の努力こそが、豊かな国際社会を作り出す確かな一歩なのだろう。
以上引用しました。 |
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2003.4.8
Tue. |
◆「なぜ戦争は終わらないか」千田 善著 みすず書房を読みました。
なぜ、戦争は起こりまた続くのか。また国連とアメリカの関係など大変示唆にとんだ内容です。納得。以下にちょっと引用します。
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民族対立があっても、それだけで自動的に戦争に進むのではない。
民族対立や紛争は自然発生的に起こるのではなく、だれかがあおり、激化させ、組織化させ、それが紛争という形をとっていくものだ。中略
ここでは、民族紛争というものには人間がつくり出した『原因』があり、それが激化していくのにもある種の『仕組み』がある、さらに戦争に発展するまでにはカナリの『組織的なメカニズム』がある、と考えてほしい。 |
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2003.4.2
Wed. |
◆家内が3月27日の神奈川新聞を私に見せてくれた。
そのページは「女性の世紀へ 未来への選択」と題し一面が使われています。左側には、創価学会名誉会長の「『教育力』と『生命尊厳の連帯』から」が掲載されていました。とても感動的で勇気が出ました。一部を以下に引用しました。
「軍隊を廃止した「平和の先進国」として名高い中米のコスタリカで、7年前、私どもが「核の脅威展」を開催したときのことである。多くの政府関係者が出席し、厳粛な国家の斉唱で開幕式は始まった。ところが壁を隔ててすぐ隣の「こども博物館」からは、明るい、はじけるような少年少女たちの笑い声が、式典に関係なく響いてくる。私は、出席者に呼びかけた。「にぎやかな、活気に満ちた、この声こそ、『平和』そのものです。ここにこそ原爆を抑える力があります!希望があります!」
フィゲレス大統領ご夫妻も、深くうなずいておられた。同大統領のもとで、それまでの国防省の代わりに設けられた警備省に、女性の大臣が就任した。任命式で彼女が身に着けたものは、銃でもなければ、サーベルでもなかった。なんと赤ちゃんを抱いてきたのである。平和の未来を訴えゆく、何よりの神々しき姿であった。」
以上です。
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2003.3.21
Fri. |
◆ついに戦争は開始されました。
極めて残念な結果となってしまった。私は、理由はどうあれ戦争絶対反対だ。12年間の対話による説得を続けてきていながら、今なぜ戦争による解決を選択したのか。なぜか急すぎる。
アメリカは悪の枢軸発言(14年1月29日)をあえて行った。対話による平和に向かって確実に歩み始めた矢先だけに残念だった。イランのハタミ大統領も対話による平和を主導したいた指導者だったから怒りをあらわにしたのももっともだと思う。韓国は太陽政策をとって南北の対話を進めていただけに意外な感じがしたのは私だけではないでしょう。
そのような中、日本はその年の9月に北朝鮮との対話に入る。そして宣言がだされた。
日朝平壌宣言(14年9月17日)をあらためて読み直す。
最後のところに、以下のようにある。
「双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることを確認した。
朝鮮民主主義人民共和国は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアム(猶予・停止)を2003年以降も更に延長していく意向を表明した。」と、以上の内容です。
私は、この精神でイラクの問題に対しても日本は外交を貫くべきと思います。また、きっとできると祈っていました。
理由はまさに世界が対話による平和に向かって大きく前進するそのときがきていると確信していたからです。
そのときに、戦争は開始されてしまいました。まことに残念でしかたがありません。 |
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2003.1.21
Tue. |
◆佐藤好美さんの「バクダットは今 イラクの光と影」写真展より
「朝、バクダットのサデュンストリートを歩いていると、子どもたちが父親に手を引かれて通学する姿が目につく。大きなカメラを抱え歩く日本女性がよほど珍しいと見え、あちこちから声がかかる。『どこから来たの? イラク好きですか? ホンダ、スズキ最高だよ!』と。
見れば何十年前の車なのか窓ガラスをガムテープで張り付け、座席はボロボロの車をあちこちで見かける。とても新車を買えるような状況ではなく、食べるのに精一杯なのかもしれない。
ところが暗さのどみじんも感じられない。アラブ一陽気なノリの国民性は一体どこから来るのであろうか? 町中は一見、物があふれて見えるが、どこの店でも同じ物が並び品数が少ない。店先にはペプシはじめアメリカ製品が並ぶ。
行き先も知らされないまま着いた所はサダム・フセイン小児病院であった。劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ子どもがベットに横たわる姿が目に飛び込む。カメラを向ける気になれず、立ち去りたい衝動にかられた。
数日して再度、別の病院に案内された。ためらいながら私は私の撮り方でメッセージを伝えようと、カメラを構える。満足な医薬品もなく粗末なベットに寝かされ白血病、リンパ腫等の病気で苦しむ子どもたち、あきらめ無表情な母親。
なんとしても救ってほしいと訴える母親にレンズを向け撮影の後、一人ひとりに『ごめんなさい、辛い思いをして撮った写真、絶対無駄にしません』と心から謝り、こらえきれず同じ子を持つ母として一人の母と抱き合い泣いてしまった。
戦争は罪のない人々を苦しめ、かけがえのない大切な物を奪う。今この子どもたちがどうなっているのか私にはわからない。遠い国の出来事として片付けられない現実が重くのしかかる。」
文 佐藤好美
以上、大蔵週報1月24日号から引用しました。
写真は著作権の問題もありここに掲載できません。是非会場まで行かれてご覧になられることをお勧めいたします。
日本カメラ博物館は千代田区一番町25 電話03-3261-0300
1月20日から1月26日まで |
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2002.11.13
Wed. |
◆今日の読売新聞には「イラン保革緊張」との見出しで改革派と保守派の抗争が紹介されていました。
改革派を指示する学生も連日集会が開かれていると。
改革派の活動家アガジャリ氏の言葉も紹介されています。
「我々問題の諸問題は宗教に内在している。宗教は改革しなくてはいけない。」さらに優れたイスラム法学者を手本として信者が行動するというシーア派教義の根本原理「模倣の源泉」に疑問を呈し、「人々は誰かを模倣する猿だろうか」などと発言した、と。
→時代は改革派の方向へ。ハタミ大統領の対話による平和へ。 |
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2002.10.29
Tue. |
◆昨日と今日の聖教新聞にインドの「緑の革命」の父として知られるスワミナサン博士と池田先生の対談が掲載されました。
貧困と飢餓のない平和な21世紀を展望して語られました。
世界人口の限界は
中国12億人の食料問題の展望は
非暴力の精神を広げるには等
人類が直面する危機とその解決策が語られました。
民主主義についても語られましたので、少し引用します。
会長 インドは世界最大の民主主義国家です。現在のインド政治の焦点は何でしょうか。
博士 今、インドでは、「村からの民主主義」が実現しつつあります。憲法の改正が行われ、地方自治体に強い権限が与えられています。また、地方議会では、議席の3分の1は、女性に割り当てられています。女性に対し、社会的、政治的に大きな力を与えたのです。その動きは、州議会、国会のレベルに進みつつあります。
民主主義の質を改善する唯一の方法は、透明性を高め、開かれた体制にすということです。そして、下からの参加を拡大していくのです。「代表型」ではなく「参加型」の民主主義が重要です。
会長 大賛成です。民衆が積極的に、建設的に政治に参加してこそ、「真の民主主義」です。
引用は以上です。
→今、ヨーロッパでは通貨の統合から連邦制への壮大な実験など、米国を意識しながらも独特の国家観を模索しようとする動きがあるそうだ。世界はどんどん変化していく。そのよう中、聖教新聞にこのような内容の記事が掲載され、本当に安心できました。 |
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2002.10.12
Sat. |
◆今日の読売新聞の一面は、「アメリカ上院も対イラク武力容認を決議」と、「カーター氏にノーベル平和賞」の記事が並んでいました。
ノーベル賞委員会は、カーター氏の受賞理由に「国際紛争の平和的解決」への貢献や「民主主義と人権の前進」への努力。同委員会はその上で「同氏への受賞は現在のアメリカ政権への批判と解釈されるべきだ」とする異例のコメントを発表。とありました。
→ノーベル賞委員会はこのようにはっきりと平和についてコメントもするのだなと感心しました。またそれを読売新聞も記事を並べて書くところいいですね。 |
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2002.8.9
Fri. |
◆今月カリブ海のプエリトリコで第一回「平和開発国際会議」が開かれるという。主催はプルトリコ上院議会と平和と人間の向上のためのアリアス財団の共催とのこと。
→さすが外国の議会は違うなぁと感心する。
「平和のときに平和の確立を」と銘打たれた会議である。
この会議にはノーベル平和賞受賞者をはじめ「平和」「人権」「環境と開発」などの各分野で活躍する著名なリーダーたちが出席する。
日本からは池田名誉会長に同会議の「名誉参議会委員」に就任を要請する招聘状が届けられました。(8月9日の聖教新聞より)
→議会として平和のための会議を呼びかけるとはすばらしいですね。是非私たち千代田区議会もこのような運動を起こしていきたいと思います。 |
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2002.7.31
Tue. |
昨日の読売新聞には
イランのハタミ大統領が保守派の抵抗に改革が行き詰っていると。
今日の読売新聞は
今度はアメリカで穏健派のパウエル国務長官が孤立しているとの記事でした。
→世界は、保守派の猛烈な巻き返しにあっているのか。
どうもおかしいぞ。
「文明の対話」を中心に世界平和を目指すハタミ大統領
イラク政策でも京都議定書でも国際社会と強調して物事を進めていく穏健派のパウエル国務長官
それぞれが窮地の立っているとの記事です。 |
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2002.7.17
Wed. |
◆中央公論8月号から
「国会議員諸君!論争術を勉強しなさい」松本道弘氏(国際ディベート学会会長)
非常に勉強になりました。政治家は限られた時間で有効な質問をしなくてはなりません。また多くの区民の方も今ではインターネットでその質疑を見る事も可能になっていますが。(千代田区ではこの9月から本会議・委員会等
の議事録がインターネットで検索・閲覧できるようになります。)
松本氏は
1.その点はどう思いますか、というオープン・クエスチョンは日本人好みだがこれでは相手を逃がしているようなもの。相手を追い込むクローズ・クエスチョンにすること。→質問は曖昧にしない。
2.同時にいくつもの質問をしない。説教なのか質問なのかわからないものが多い。 →「それは意見ですか、質問ですか。」としっぺ返しがきてしまう。
質問は常に一つで、手短に、要領よく関連のある質問を工夫すべきである。
3.相手の発言を見逃すな
4.敵に塩を送るのはリスクが大きい
5.インテリジェンス(裏の情報)を活用せよ
例えば外務省のインテリジェンスは商社などと比べてかなりお粗末である。
日本人はとかく表のインフォメーションと裏のインテリジェンスを混同している。
6.証明なき議論は無効である
国会議員のやりとりは、意見が多く、事実が少ない
7.守るべきルールが二つある
それは討論相手に対する尊敬と入念な調査である
8.議論に不可欠なのは哲学である
9.逃げる答弁にも論理を用いよ
なぜとなぜならという論理の鎖を切らずに自説を曲げないこと
10.最後に必要なのはウイットである
以上、私が読んで感じた部分を箇条書きにしました。
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2002.5.6
Mon. |
◆イスラエル問題について
「タックスヘイブンの問題や産業廃棄物の利権(原発・核兵器産業)の問題と根っこはいっしょである。よってイスラエル問題を本気で解決するためにはこれらの問題を解決することが重要である。
」以上、友人からのアドバイスより。
世界がある方向に進んでいるのも確かのような気がする。それは上記問題が解決の方向に進んでいるといことだ。それは利権派の退潮と平和を目指す改革派の
台頭である・・・。 |
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2002.3.2
Sat. |
◆今月号の選択に「やはり裏目のイラン敵視」という題目で記事があるが私もその通りだと思います。特にイラン国内で改革派と保守派の争いがあり、ハタミ大統領の進める対話による平和路線がアメリカの「悪の枢軸」発言で保守派が盛り返す原因になったこと
はとても残念です。国際社会は粘り強く改革派を支持していくべきと思います。 |
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2002.2.28
Thu. |
◆「悪の枢軸」という言葉は第2次世界大戦前に日独伊を指してアメリカは使ったことを今日知りました。今回また使ったのですが・・・。 |
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2002.2.3
Sun. |
◆榊原英資氏は日本は唯一「成功した社会主義国」という。竹村健一氏は、「その『成功した社会主義国』もこのままでは多くの社会主義国が失敗したように、日本も例外とはいえなくなってきた。」と警告している。しかし今の日本の税制には弾力性がなく財政的にどういう将来像を描くのか、限られてくる。大事なことは、それでも国民に思い切って将来像を示し税も含め政策の選択が出来るようにすべきだと思う。 |
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2002.2.1
Fri. |
◆緒方貞子さんの外交政策の基本は「現場主義」だそうです。そして大学教授としての代表的論文は、「満州事変と日本の外交政策決定過程」とのこと。女性としてまたあのお年でなを「現場主義」を貫かれている緒方女史に教えられること大です。私たち議員は、この「現場主義」を見習うべきと感じました。 |