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行政は市民との協働の青写真を持て
 

ニュースレター「政策空間」Vol.1(2003年4月)を読んでいて協働に関して大変参考になる文章が掲載されていました。私もまったく同感です。
 「政策空間」様、そして宮川様のご了解を得てここに全文を引用させていただきました。ありがとうございました。

「政策空間」は以下のページから見ることができます。
 http://www.policyspace.com/

行政は市民との協働の青写真を持て 

 宮川純一 NPO法人コラボ

 協働論議は盛んだが・・・

 今年は統一地方選挙の年である。街中の到る所に張り出されたポスターはおなじみの光景だが、どの町かを問わずして今回多くの候補者たちが掲げる政策スローガンが「官から民へ」「市民参加」というもの。流行りことばでいうと、行政と住民のコラボレーション(協働)というのがその根底にあるのであろう。この「協働」は、現在自治の世界で最も注目されている製作テーマだ。

 2001年3月、横須賀市では「横須賀市市民協働推進条例」が公布され、7月に施行された。この条例は「市民活動の推進」のみならず「市民協働の推進」を謳った条例としては、全国初の試みだ。その名の通り、検討段階から徹底した市民参加型を貫いてきた。検討委員17名中、10名が市民活動NPOの代表や公募市民、社協や商工会のメンバー2名、学識経験者2名の他、自治体職員はわずか3名という構成だ。市民参加というよりは、文字通り市民主体のメンバー構成といってよい。当初から行政側がつくったたたき台は一切用いず、その場の議論や市民から集めた意見を基に条例案を作り上げたという。「市民主体」の徹底という点で前例がないものだ。

 ひとつ事例ができれば、後発が多少かたちを変えながらもあとを追うのは、この世界も例外ではない。地方自治の政策テーマにおいて、今後ますます協働の枠組みづくりといった議論が盛んになること自体、その動向は歓迎するにしても、私にはひとつのことが気にかかる。いまなぜ協働なのか、政治や行政サイドの言うことばからは、協働を見据えた将来の青写真が見えない、ということである。

 協働論議の背景

 協働は、現に自治体職員の研修などで研究されているテーマだ。具体的には、政令市や県レベルでは地方分権法が施行されて以降、職員の政策法務・政策形成能力向上へ向けた取組みが研修内容として実施されはじめている。今後、市町村合併の促進によって大規模自治体が生まれれば、民の活用も視野に入れた公務能力の向上に向けたプランも投資もさらに大きくなると思われる。

 その反面、行政の世界にもまさに少数精鋭化の波が訪れることは間違いない(いや、そうなってもらわないと困る)。総務省が調べた地方公務員採用試験の実態調査をみると、平成4年の競争率は6.1だったのが、平成13年現在では11.9である。この2倍にも近い数字が仮に不景気による公務員人気が原因だとしても、地方の慢性的な財源不安を考えれば、今後の採用減少化は否定できない。
 となれば、人員や規模からいっても今のように「何でも行政」という構図は消さざるをえない。そのとき、住民サイド、特に現在急成長中のNPOはどんな活躍をしているだろうか?同じく、行政は将来どんな姿、機能を果たしているのだろうか?協働社会の理想を描き、その発展を声高に叫ぶ行政が協働の青写真もっていないとしたら、あまりに無責任だし、正直悲しいことである。

 協働の先にあるもの

 昔から住民投票は必ずといってよいほど、行政と住民の対立軸の上になりたって、投票結果が注目されてきた。
 「顔のない組織としての行政VS弱い立場で要求を無視される住民」という構図。そして行政に与えられた役割は、役所用語と行政理論を振りかざすプロの顔だ。
 協働を担う構図は違う。行政と住民が平等の立場から「補完性の原理」にたって、互いの長所も短所も認識しあわねばならない。行政にとっては「行政が決して全能の神ではない」という、行政のもっとも苦手とするような認識が求められる。
 さらに協働の先にあるのは「自立」「住み分け」、ときには「競争」という場合だってあるかもしれない。どのかたちを取ってみても、そこに共通するのは「官と民との垣根がなくなる」ということだ。

 協働を語るのならば

 自治体職員も住所を有する市民である。首都圏や政令・中核市規模の県市区職員には、職住が分離した職員が多いことも事実だ。だとしても行政が公務において住民との協働を進めるのに、自身が地域のイベントや活動に参加することなくして、どうしてNPO市民活動家の気持ちがわかるのだろうか。わが国の憲法は公務員の政治活動は制限しているものの、市民活動を制限する条項はどこにもない。改革は知事として活躍している片山鳥取県知事は、自身が町会の自治会長でもあるという。

 現在、NPOで活躍する人々の中には、行政サイドが進めようとする協働について、建前はともかく実態は丸投げや官による都合のいい利用でしかないという人もいる。実際、右肩下がりの経済のもと、財政の逼迫、職員大幅削減など予算面や人件費抑制といった行政側の事情から考えると、あながちこの不満が嘘とも言い切れないし、そのような目的が見え隠れしているのも事実だ。しかし、それでも災害ボランティアや世界中で活躍するNGOをまざまざと見せられた若者には、未だ誕生間もないNPOが、大企業に変わって指導力やリーダーを涵養するステージと映っているといってもよい。いかなる問題があるにせよ、NPOという舞台が社会起業家を目指す若者達にとっては、りっぱなチャレンジの場となりつつあるのは確実であろう。

 行政が失いつつあるもの

 立ち上げベンチャーにも負けないモチベーション。いまの市役所がなくしてしまったものがNPOにはある。それは言い過ぎだとすれば、本当は行政にこそ「住民サービスの担い手」であるという、かつての気概を思い出してほしいというのが私の願でもある。
 予算・組織力ともにNPOが力をつける時代はそう遠くない。そのとき、「行政あっての協働」なんていう都合のいい言葉はなくなっているだろう。さらにいえば、協働の青写真を持っていない行政は消えてなくなっている可能性も大いにありえるのだ。

 

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